
海からの贈りもの・前書き
訳者序
アン・モロー・リンドバーグの "GIFT FROM THE SEA" は、吉田健一の70版を超える『海からの贈物』、1994年には落合恵子の『海からの贈りもの』として翻訳本が出ている。私が何回か読んだのは吉田氏のだが、最近サラッと目を通した落合さんのは、いかにも女性的な言葉使いで味があった。翻訳は原典とは別の創作物であり、訳者の数だけ作品がある。
「50周年記念版」の原典は何年か前にKindle版で読んだ。それには作者の末娘で作家のリーブ・リンドバーグさんの前書きがあり、オーディブルで聞ける彼女自身の肉声も、3カ所のわずかな違いを除いて同じ内容である。
海からの贈りもの 前書き
母は五十年以上前にこの本を出したが、私は本書をその後五十回は読んだように思う。これはあながち誇張ではない。『海からの贈りもの』が初めて出たのは私が十歳の時で、今回の版で六十歳である。恥ずかしながら告白すると、私は二十歳代になるまで、この本を読んだことがなかった。もっとも、こういうことは私に限らず、どんな作家の子供たちにとっても珍しいことではない。今では少なくても年に一回、時には二回以上読むこともある。年間を通じて、また人生のあらゆる季節に、この本を読む。しかし、この1955年の母の書物が新鮮さを失ったとか、そこに含まれている智恵が、私の人生や、時と共に私が学んできたことに適用できなくなったと感じたことは一度もない。
母がこれを書いたのは、フロリダのガルフ海岸のキャプティバ島の砂浜近くにあった小さなコテージに滞在中のことである。多くの人達が、その小屋が何処のどれであったかを知りたがった。しかし、フロリダの友人が最初にその場所を見つけた時にはすでに、とうの昔にその小屋は無くなっていたと話していた。長いことその話しが本当だと知りながら、それでもなお、私は母が1955年に著した「海からの贈りもの」一冊を持って、最近の一週間をキャプティバ島で過ごした。
ただ単に、私自身に「穴を通す」(注0)ために。私がメキシコ湾の海岸で探していたのは作家の小屋ではなく、作家の死やその後に残された遺産の経過、公にされた家族の歴史に関係する祝事や行事、そして私たち家族についての私的な暴露話や議論の幾つかについて調べるためであった。私は再び、助けを求めて彼女に目を向けていた。
自分自身を前に進めるためには、彼女の智恵と励ましを再び必要としていると私は感じていた。そして、希望し期待していたとおり、彼女が私を失望させることはなかった。『海からの贈りもの』の、どの章やページを開いても、筆者の言葉は、一休みしながらもっとゆっくりと生きる機会を読者に与えてくれる。本書はその環境がどうであれ、人を「今・現在」という時間の中に、静かに落ち着かせ休息させることを可能にする。その全部でなくても、ほんのわずかでも読むと、読者はしばらくの間、日常を離れた、より平和な速度で生きることになる。彼女の言葉のゆらぎや流れそして抑揚さえも、安らかで避けがたい海の動きに言い及んでいる、と私には思えた。
私の母が、これを意識的に書いたのか、あるいはこれを書く間、砂浜を歩きながら暮らした日々の、自然な結果であったかは定かでない。その理由が何であれ、本書をほんの数ページ読むだけで、海辺の脈動の中で私はくつろぎ、自分自身が潮の満ち引きにと共にある何ものか、であるように感じ始めるのである。ちょうど、この大宇宙という太洋の、壮大なリズムの中に浮かぶ漂流船の欠片(かけら)のように。この感覚はそれ自体が深く確かなものだが、本書の中には、心の平穏以上のもの、静かな生活や静かな言葉から来る、潮の満ち引きに似た心地よさ以上のものがある。これら全ての底流にあるものは、「確固として揺るぎない強さ」である。
本書を読むたび、母のその「揺るぎない強さ」を目の当たりにするようで、私は驚く。たぶん、彼女のこの資質を忘れていたか、当然のことだと思っていたからだろう。彼女は華奢(きゃしや)で、いつも繊細であるように見えたし、その知性の深さや感受性の細やかさも覚えている。しかし、本書を読み返すと、これらの性格にありがちな脆(もろ)さの幻想は抜け落ちて、真実が残る。ともあれ、彼女は1932年に、初めての息子を悲劇的に失った後(注1)、5人の子供を育て上げた。1930年には、アメリカ初の、一級グライダー・パイロット・ライセンスを取得し、1934年には、航空と探検に関する冒険に対して贈られる「ナショナル・ジオグラフィック・ハバード・メダル」(注2)を与えられた最初の女性となった。
また1938年には、これらの冒険を元にして書いた『聞け!風が』(注3)で「全米図書賞」(注4)を受賞し、生涯を通してベストセラー作家の名を残している。彼女が65歳の時、私たちはバーモント州でスキーをし、70歳の時はスイスアルプスを縦走した。その5年後の75歳の時は、ハワイ・マウイ島のハレアカラ・クレーターまでハイキングして、数人の子供や友人との一夜を火口の中で過ごした。
巨大な半球の暗闇の中で、頭上に明るく煌(きら)めく星々を見上げていたのを、私は思い出す。その間、母はサイズ5のハイキングシューズでしっかりと立ちながら、私たちにナビゲーター・サークル(注5)を、確認しながら指し示してくれた。カペラ、キャスター、ポロックス、プロサイアン、シリウス・・・ これらは、彼女がその50年前、先駆的飛行家として、暗闇の中を飛行するために最初に覚えた星々であった。
何はともあれ、『海からの贈りもの』は、普通にあらざる種類の「自由」を提供してくれる。それは知ることも説明することも容易ではないが、この自由こそが、本書が近年まで、これほどに愛され、読まれ続ける本当の理由ではないかと思う。 私の言うその「自由」とは、まさに母がそうであったように、「全てを受容し続けることを選択する自由」、人生に降り注ぐ、喜び、悲しみ、成功、失敗、苦しみ、楽しみ、そしてもちろん、常に起こる変化の「全てを受け入れる自由」である。 それは、彼女自身の体験にもとづく正直な内省の中に、また外部世界には積極的に対応しながら、内部世界の中心にある「静寂」に従って生きようとする姿勢の中に存在するものであり、私たち誰でもが「今・ここ」を生きるために不可欠なものでもある 母は静かに、彼女自身の人生の中に、あらゆる人々の人生の中に、この「自由」を置いた。彼女は自分自身の、また他の人々にとっての、新しい生き方を発見したのである。この50周年記念版によって、新しい世代の全ての読者が、彼女の後に続くことができるかもしれない。そうなるのを知ることが、私にとっての喜びである。
アメリカ合衆国、バーモント州、セント・ジョーンズ・バーにて リーブ・リンドバーグ
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「前書き」のあとがき
アン・モロー・リンドバーグの末娘、リーブ・リンドバーグが書いた ”GIFT FROM THE SEA”『海からの贈りもの・50周年記念版』の「前書き」の訳文・・・何度見ても駄文の域を出ないが、まあ、私の才能と今の力量では、この程度が関の山である。一応、全文が完了したので、「あとがき」めいたものを少し。1000語余り(日本字で400字詰め原稿用紙に13枚分)に一月半もかかった理由の大半は、いつもの怠け癖にある。
私がこれを手掛けてみようと思ったのは、過去に上梓した、或るアメリカ人記者による『リリエンタール最後の飛行』や、無謀にもB・ラッセルの『権威と個人』に挑んでみた時と同じく、ただ、あのチャールズ・リンドバーグの生き様に興味が尽きないからであり、その妻のアン・モローの文章に惹かれたからであり、その娘のリーブの声や映像に魅力を抱いたからである。もう一つだけ控えめに付け足すと、これをまだ誰も翻訳した様子がなかったからである。
そして、初めの二人に共通して言えることは、「冒険」と「自由」と最後に「自然」をこよなく愛したこと。リーブに言えることは、母親・アンの生き方の精髄を『海からの贈りもの』に見出し、それを私に向けて真っ直ぐに投げてかけてきている様な気がしたこと、である。
すでに言うまでもないことではあるが、翻訳作業のおそらく9割以上は日本語の世界である。訳は翻訳者の数だけあり、その質は、訳者の性格、人柄、生き方、詰まるところは人格による。
作業を進める傍ら、猪瀬尚記の『翻訳はいかにすべきか』をチラチラと見ていた。その岩波新書の帯に、平賀源内の「翻訳は不朽の業」、二葉亭四迷の「翻訳は文体である」、猪瀬本人の「翻訳に不可能はない」という、勢いの良い言葉が並んでいる。私は二葉亭に賛成するに躊躇なく、猪瀬にはちょっと首を傾げ、猪瀬が「大げさである」と評した源内には大きく頷く。
不朽とは不滅という意味だが、この世界にはそのような訳書の数々が確かにあることを、こんなヘッポコ翻訳者でも、それなりに知っているからである。無論、私の訳書は、恒河沙(ごうがしゃ、注:6))のごとき金沙に混じった砂粒のようなものであり、不朽でも普及でも不滅でもない。自分で納得するまで更新を重ねる多少念の入った「遊び」と諦めながら、読んで頂ければ、ある意味で幸いである。
何故か時を同じくして、馴染みの砂浜で拾った「海からの贈りもの」・・・大分産の麦焼酎「いいちこ」の何本目かを飲みながら、色々と想い巡らせることにする。
令和元年(2019年)7月25日 梅雨あけの星空涼し松山の地にて
渡 辺 寛 爾
※注0:原文の"Reeve"は、筆者の名前「リーブ」と、動詞としての"reeve"「ロープなどを穴に通して固定する」という意味をかけている。訳者は「自らを安定させる」と解釈するが、適当な日本語を見つけることができないでいる。
※注1:リンドバーグ愛児誘拐事件。1932年3月1日、初の大西洋単独無着陸飛行に成功したことで有名な飛行士チャールズ・リンドバーグの長男チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ・ジュニア(当時1歳8ヶ月)がニュージャージー州自宅から誘拐される。現場には身代金5万ドルを要求する手紙が残されていた。10週間に及ぶ探索と誘拐犯人との身代金交渉をしたが、5月12日に邸宅付近でトラック運転手が、長男が死亡しているのを発見した。
※注2:ハバード・メダル(Hubbard Medal)は ナショナルジオグラフィック協会が顕著な探検や発見、研究を行った人物に贈る賞である。賞の名前はナショナルジオグラフィック協会の初代会長のG・G・ハバード (Gardiner Green Hubbard) に由来する。
※注3:『翼よ、北に』(中村妙子訳)に続く、アン・モロー・リンドバーグの第二作。(中村妙子訳)
※注4:アメリカで最も権威のある文学賞の一つ。1950年3月15日に、複数の出版社グループによって創設され、現在は全米図書協会(National Book Foundation)によって運営されている。2004年時点で、小説・ノンフィクション・詩・児童文学の4部門があり、受賞者には副賞として賞金10,000ドルとクリスタルの彫像が贈られる。
※注5:陸地の見えない夜間などの空間において、明るい星や星座などの天体を観測することで航空機の位置を特定する航法術。
※注6:ガンジス川の砂粒の数





リーブ・リンドバーグ